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税務経営情報 vol.279

~ やっぱり健康が一番!~

ある夜飲み会の席で、お酒を飲んでいたら急にお腹が膨れてきました。お腹がいっぱいで膨れているという意味ではなく、物理的にお腹がポコッと膨らんできました。あれ?飲みすぎたかな?そういえば生中2杯、日本酒コップ酒2杯しか飲んでいない・・・ふと、夕方飲みに行く前、空腹時に胃酸が出すぎている感じの痛さがあったことを思い出しました。

その時は、愛用の漢方薬、陀羅尼助丸(大峰山の麓に売っている薬です)を飲んですっきりしたと思っていました。そしていつもの流れで、2次会に突入しました。お店に着くころには、お腹が出てきてズボンのベルトが締められなくなって、二つ折りになってしまうぐらいに痛みが強くなってきました。その頃になっていつものお腹痛ではないと思い、歌を一曲も歌うことなくみんなより先に家に帰ると、家族がびっくりしていました。

娘はお腹が痛いときは、クッションをお腹に抱えるとましになるというアドバイス通り、クッションを抱え、体をくの字にしながら眠りにつきました。
しかしウトウトとしては、痛みのため苦しみ、またウトウトとしては痛みに耐えるという状態が3.4時間続いていました。すると午前3時ごろ少しましになったと感じたので、少しだけお茶を飲みました。すると収まっていた痛みがまたぶり返してきました。そしてまたクッションを抱えて1時間ほど苦しんでいましたが、とうとう我慢ができなくなり妻を起して病院に連れて行ってもらいました。

夜間診療のある病院に着くと、まともに立てない私を見て受付の方が車椅子を持って来てくれました。それに何とか座り、クッションをお腹に抱えて診察室に行きました。夜間のお医者さんの診察を受け、色々な検査を受けました。そして午前6時頃病名が分かりました。「急性虫垂炎」いわゆる盲腸でした。それまでは胃のあたりが痛かったので、何か食べたものにあたったのかとか、その日は税務調査があったのでそのストレスで、胃腸炎や胃潰瘍とかになったかとビクビクしていましたが、病名を聞いて一応はホットしました。しかし病名が分かったからと言って、治るわけがなく待合室の固いベッドで苦しんでいると、点滴をしてもらって少し楽になり眠ることができました。

その後、外科の先生がやってきて、早急に手術をした方が良いと言われました。最近は虫垂炎を薬で散らす方法があるそうですが、私の場合は大きくなっているので、即切ったほうが良いと言われました。ただしお腹を切り開いてする手術ではなく、お腹に3か所穴をあけて行う腹腔鏡手術という方法でした。親にもらった体に初めて傷をつける手術でした。そしてこれまた初めての入院となり、妻に入院に必要なものを準備してもらいました。

手術室が空いたら、すぐに出術をしますと言いながら、中々お呼びがかかりません。点滴で痛みがやわらいでいる中、冷静になり初めての手術のため今か今かと緊張しながら待ちました。結局そんな状態で11時間後の午後5時頃に手術室に向かいました(長かった!)。出術室に入ると中には部屋がたくさんあり、その中の一つの部屋に入るとテレビでよく見た手術室でしたが、ただ以外だと思ったのが手術室に音楽が流れていたのを覚えています。すると私の周りに人が集まり、今から始めますとの合図に全身麻酔で一瞬に眠りにつきました。
「起きてください」との言葉に、無事に手術が終わったことの報告を受け、私の虫垂炎を見せられました。結構大きく10㎝ほどあったと思います。そして病室に戻ってくると、妻が心配そうに待っていてくれました。というのは、当初1時間半ぐらいで手術が終わると言われていたのに、結局2時間半程かかっていていたので、何かあったのかとずっと心配していたようでした。ちょっと癒着していたので、手間がかかったそうでした。

手術した後も腕には点滴をつけたままで、足には「静脈血栓塞栓症」いわゆるエコノミー症候群にならない様にずっと揉み続ける機械を取り付けられ(これが結構痛かったです)、後、立ち上がることができないので、尿道に管を入れられたのですが、切った傷より痛かったです(笑)。体験した方だけが分かります。

手術翌日病院の消灯時間は、早く午後9時でした。妻は心配で最後まで一緒に付き添ってくれたのですが、消灯のためまた明日来ますと言いながら帰っていきました。ここからは、起床時間の午前6時までずっと一人でした。テレビを見ていてもつまらないし、傷も痛いし動くことができないので、寝返りがうてないので腰が痛くなってくるし、情けないですが、凄く不安で寂しくなっていました。そうしていると、検診のため看護師さんがやってきては、検温や血圧を測ったり、お腹の調子を観察しながら元気よく話しかけてくれました。入院した初日の夜は長く、救急車が何台も病院に入ってくるのを数えながら、夜が明けるのを待っていました。そのような中、夜中中定期的に検診のため来てくれた看護師さんが、天使のように見えました。私のテンションが下がっているため、いつものような会話はできなかったのですが、大変うれしかったです。

手術後始めての食事次の日になると、足の機械や尿道の管を抜いてもらい、点滴を持ちながらトイレに行くことができる幸せを感じていました。

窓からしかし余り動けないので、ベッドから見える空を羨ましく思いながら、また読書をしてゆっくり過ごしました。この日は子供たちがお見舞いにきてくれました。何気ない会話をしただけなのですが、家族の絆を感じました。こういう時人間は、何気ないことに喜びを感じるものだと感じました(笑)
看護師さんと昨晩から色々な話をして仲良くなったと思っていましたが、私がだんだん元気になってくると、看護師さんの態度がだんだん冷たくなってきました。いや冷たいというのではなく、看護の必要性がなくなってきたからなのですが、距離を置かれてしまい何となく寂しくなりました。せっかく元気になったらお話ししようと思っていたのに・・・。

主治医の先生からは、痛いでしょうが出来るだけ自分で動くようにと言われてから、少しずつ動き始めました。初めは、病室のフロアをゆっくり歩き回ることしかできなかったのが、3日目の午前中には階段の上り下りができるようになり、昼には病院の外周を歩き回ることができました。4日目には、外周だけでは物足りなくなり、とうとう病院の敷地を抜け出し、妻の実家まで歩いて行くことができ、達成感ができてきました。そして実家でゆっくりしていたら、病院では検診の時間に私がいないと一騒動があったそうです。帰ってから、外出するときは外出許可を取ってくださいと怒られてしまいました。

そして待ちに待った退院、テレビで見る看護師さんから無事退院おめでとうとか言ってもらう感動のシーンもなく、淡々と退院の手続きをして我が家に帰ってきました。やっぱり我が家が一番ですね。入院して家族の大事さ、それと健康がずっと続くとどこかで思っていましたが、健康であり続けるにはそれ
なりの努力をしないと改めて感じることができました。

( 岡 本 清 臣 )